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ビールとにわか雨と言語境界線の国で、 美術と歴史の迷宮を彷徨中の 留学生活の覚書
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  この月曜日から第2セメスターが始まりました。

  ご報告遅くなりましたが、私のほう、今学期から正規学生として登録することが
認められました。
  滞在許可延長申請に絡むドタバタだの、人間関係の軋轢だの、さらには、ここ
1週間余りの体調不良に至るまで、いろいろありましたが、ようやくこれで本業に集
中することができるようになりました。
  家族はもちろん、恩師の先生方、主治医の先生、そして日本の友人たちはじめ、
これまでご心配・ご迷惑をおかけしたたくさんの皆様に、改めて御礼申し上げます。


    *               *               *


  語学学校のほうも、今週から新しいコースがスタートしました。

  今回は、私がこれまでいちばん長い期間お世話になった先生で、かつ、いちばん相性が
いいと感じる先生のクラスで、オランダ語レベル4をやり直すことになりました。

  例のアフリカから来ている学生も同じクラスで(笑)、思わず「また落ちたのか?!
今回もやっぱりdiscriminatieのせいかよ?」と皮肉ってやろうかと思ってしまいました。
  でも、相手がまるっきり屈託のない様子で、当然、私に何を言ったかなんて覚えている
はずもなく、そして何より、私自身が他人のことを笑っていられるような状況ではないので、
口をつぐんでおきました。  
  まぁ、ダメ元でも試験を受けただけ、ヤツは私よりも立派といえば立派かもしれません。

  いずれにせよ、語学の学習というのは、講師やクラスの雰囲気によって、モチベーション
の上がり方に本当に大きな差が出るものです。
  そういう意味では、今回は良い環境に恵まれ、感謝しています。この追い風を逃さずに、
悔いの残らないよう突っ走りたいと思います。  

   
   *              *              *

  
  ここ最近のベルギーの様子を少し。

  先週、大雪でイギリス全土で交通網がマヒしたというニュースが大きく取り上げられて
いましたが、ベルギーもこのところ、厳寒の毎日が続いています。
  すでに今年は、1月前半に、最低気温マイナス15度という30年ぶりの寒波に見舞われ、
近所のStadsparkでは、泥酔したあげくの凍死者が発見されるという事件までありました。


DSCF6715-2.JPGDSCF6735-2.jpg
       








  写真は、この1月に、ルーヴェン郊外で撮影したものです。16-17世紀
ネーデルラントの冬景色の風景画を彷彿とさせる風景です。
  20cmほど積もった雪の上に、ウサギの足跡が残っていました。
  
  この1週間ほど冷え込みが厳しく、小雪が舞うような日が続いており、
今夜からまた、一段と寒くなるとのこと。
  保険の手続きが済むまで、病院に行かねばならない事態は避けねば
なりませんので、健康管理には気を配りつつ、毎日を乗り切っていきたいと
思います。


DSCF6789-2.JPG    (←月明かり/雪灯り)  
    
  
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一晩たって、だいぶ落ち着きました。

不愉快なことは振り返らずに、細々とだろうがノロノロとだろうが、
試行錯誤を続けていきます。

足元を見直す時期に来ているのでしょうね。


 *    *    *

だいぶ言葉足らずでしたが、昨日、本当に私を激怒させたもののは、自分の
現状というより、自分のやろうとしていることへの否定だったというべきでしょう。

要求されているレベルについて行けない自分に対する不満と、他にもやるべき
ことに揉まれて語学だけに集中するわけにいかないジレンマが、ただでさえ積
もり積もっていたところに、「差別」というどうにもならない壁を持ち出されて、自
分の努力が結局は実らないと予言されたかのように感じ、さらにはそういう努力
そのものを嗤われたように感じたのですね。
実際、向こうが言いたかったのはそういうことだったんでしょうが。

それにしても、もうちょっと、離れたところから冷静にあしらう余裕があって然る
べきでした。
それだけ、今の私には余裕がないということですね。

何はともあれ、あがいてもがいて、また一日が往くのを見送ります。
注意書きから書き出すのは、女々しいことこの上ないので、もういい加減やめたいんです
が。あまり普通の精神状態で書いていませんので、そのつもりで読んでください。
  んでも、後から読み直してみて、あのときは冷静じゃなかったから、アレは無し、
  なんてコトは言いませんよー。
  どんな愚かしいことを書こうが、そのとき感じたことは事実だかンね。

  *    *    *

 今まで私は何をしてきた?という問いが、心の中で暴れまわっている。海外に出た日本人の
味わう苦労話の常として聞かれる、理不尽な差別だの偏見だのの悔しさを(比較的)味わっ
てこなかったのは、自分が気を張っていたからではなく、人と関わる機会の絶対量が少なか
っただけではないのか。自分自身に図星を指されて、どうしようもなく腹が立つ。

 オランダ語のクラスに戻るつもりはない。非生産的だからだ。どう見ても、立ち止まってやり
直してからでないとついていけないものを、無理に意地張って出席し続けたところで得るもの
は少ない。それにしても、許せないほど悔しい思いをした。 
 最近よく隣になるアフリカ出身の学生(といっても30過ぎだろうが)が、つくづく気に障ること
を言ってきたので、キレた。初めから、いちいち、こちらの言うことに聞き返す(私も向こうの
発音だのなんだの、いろいろわからないから聞き返す。要するにコミュニケーションに向か
ない相手なのだ、お互いに。だから話しかけてくンなよ、うっとうしい)のもいい気分がしない
し、そのたびにいかにも「青二才の意見を微笑ましく聞いてやっている」というかのような、バ
カにした笑みを浮かべてこちらの顔をのぞきこんで相槌を打ってくるのも、本当に癪に障る
相手だった(なので、子供扱いされついでに、子供らしく、怒りを覚えてやる)。
 おまけに日本に知り合いがいるだのなんだの、そう言えば日本人はみんなバカみたいに喜
ぶとでも思ってンのかね。ワンパターン野郎めが。 
 今日、究極に不愉快だったことは、「1年半でそのくらいしゃべれるようになるのはなかなか
だと思う」とバカにした発言(つまり、それでもみんなのレベルにはついて行けないよ、というこ
とを暗に言いたいわけだからな)をしてきたことだ。なので、肩をすくめて、それはありがとう、
ご親切にどうも、と言ってやる。ヤツは、いやいや本当にそう思うよ、と無礼発言の余計な上
塗りをしつつ、そこで、私を本当に芯から冷却させることを言いやがった。
 相手が言っていることが今イチわからなかったので(…, Japanse mensen zijn vriendelijk,
というフレーズに引っ掛かった。「日本人は親切だから」?だから何?そのフレーズと、その
後の内容とがどう結びつくのか。ちなみに未だにわからん)、そのたびに向こうが“Nee, nee,
je begrijpt niet, (いやいや、キミは理解してないよ)”とヤレヤレという感じで笑いつつ言って
くるのがなおさらムカついたが。要訳すれば、「70点とれる実力があったとしても、40点しか
もらえないこともあるからね」と言うことが主旨らしい。自分も、というか、一般論だが、あくま
で、と。
 その後で、まだわかってない様子だね、と、紙切れにDiscriminatie(差別)と書いてよこした。
(それが英語と同様、"差別"を意味する単語だろうと察しがついていても、念のため辞書で確
認せざるを得なかった自分の性格がまたバカバカしくも哀しいね(笑)  

  …それで?

  だから何だっての?


 私をキレさせたのは、ちまたで耳にするILTの有色人種差別そのものではない。それより、
何より、自分に実力が伴っていないのは、ご丁寧に指摘されるまでもなく、自分で一番よく
わかっていて、それにものすごく歯がゆい思いをしているのも私自身だからだ。
 ぶっちゃけ、私が腹を立てているのは半分以上、自分自身の現状であって、その発端の
ナメた似非インテリ野郎の発言は、あくまで起爆剤になったにすぎない。

 いかにこの語学学校でアジア人蔑視だの黒色人種差別だのがささやかれていようが、
(反論のある方がもしいれば、ご自由にどうぞ。私の発言が人種差別的だと曲解するな
ら受けて立つ。後にも書いているように、私自身がそういう意図で書いているのではない
し、そういう風聞がささやかれているという事実は事実だ。)私の知っている限り、アジア
人だろうがアフリカ人だろうが、試験に通るヤツは通っている。

 問題は人種なんかじゃないのだ。かといって実力でもない。

 要は、人種がどうとか偏見がどうとかいうのを、はねのける力、あるいは神経、ありてい
に言えば人生経験があるかないかだ。そういう差別をまったく意に介さずに、屈託なくよく
話しよく聴き、講師にもデキるヤツだと印象づけて、ハイテンションで乗り切ったヤツのみ
が勝ち残る。
 それができなかった場合、人種に基づく偏見だの差別だのが、多少の影を落とさないで
もないが、それでも、根本的な問題じゃない。ただ、次のことだけは言える。講師にしろ、
クラスメートにしろ、かけ離れた言語圏から来た者のハンディなんか全く意に介してくれ
るわけじゃない。デキない者はデキない。それだけのこととして見られる。だから、悔しい
思いをしたくないなら、いろいろ言いたいことを噛み殺して、影で努力を積み重ねるしかな
いのである。
 悔しいことこの上ないが、私には、まだ、偏見をものともせずに自分を押し通していく力
がない。偏見など黙らせる意志はある。だが、説得できるだけの実力が伴わない限り、
意気込みだけでどうなるものでもない。語学力も、精神力も、少し落ち着いて、きちんと
伸ばしていく必要がある。それには、どう頑張っても無理しても、それなりの時間がかか
るのだ。焦れば焦るほど空回りする。息切れしている状態で無理やり走り続けたって、
ゴールまで無事に辿り着けるものか。

 オランダ語の語学力だけを言っているのではない。議論の仕方だとか、さりげない自己ア
ピールだとか、浅いレベルでいいから説得力のあるお飾りつきの見栄えのいいコメントをす
ばやくまとめることがどうしようもなく下手だ。
 深く考えたって、考えることができたって、試験には通らないし、当たり障りのないレベル
の会話でとどめておく器用さがないと友達は増えにくい。結果として、”まあ、留学生やって
るんだから、勉強はできるのかもしれないけど、しょせん自分の意見がうまく伝えられない
不器用なアジア人のコドモ”という見方しかしてもらえないのが実情だ。  
 日本も海外も変わりない、と言うのは、こういうことだ。
 日本で浮き続けた私は、海外でも浮く。それが私だ。27年間、望むと望まざるとにかかわ
らず、自分の意地半分、否応なしの環境要因半分によって培われてきた素質は、幸か不
幸か、もう変わらない。
 はっきり言って、語学学校の中だけではない。万事がそうだ。教授や同学科の院生に対
するときさえ。今は本当に我慢を重ねるのみの状態だ。不完全燃焼で、空回りで、自分を殴
ってやりたい歯がゆさを必死でバネに変えて昇華させようとするのみの状態だ。
 彼らがそれでも私の中に、研究者としての”何か”を見てくれているうちは(それが意欲や
努力に対する情状酌量なのか、あるいは私自身にだけは見えていなくて他の人間が嗅ぎ
とる例の“匂い”というヤツ [←笑。この感覚、大っっ嫌いだ。独特の”〇都語”の裏の意味
をわからずに勘違いする余所者を嗤う京〇人的な排他性を感じる。どこまでいっても自分
は変わり者のレッテルを貼られて埒外にはじかれているようで、正直、精神的にしんどい。
バカにするなら、もっとストレートに言え] なのか、それはともかくとして)、そしてそれを無
視する必要がないうちは、まだいい。でも、そうして、同情だか無関心だかのおかげで生き
延びていられる間に、本当の「相手を黙らせる」実力をつけないことにはどうにもならない。 

 自分を支えることなら、まだ、いくらでもできる。家の外でも内でも、私のことをよく知りもし
ない人間に、何一つもわかっていないくせにわかったつもりになる人間に、さらに悪いことに
はわかろうとするつもりすらないクセにわかろうとするそぶりを見せる人間に、許せないこと
を言われたりされたりするたびに、ずっとそうしてきた。彼らに私の何がわかる。私の葛藤も
怒りも悔しさも悲しみも、私一人のものだ。私だけがわかっていればいい。だから、そういう
心構えで生きている人間の生き方をバカにするようなことだけはやめろ。
 そういう意味で、私は、いや、どんな人間も一人だ。その前提は同じなのに、なぜ、私は子
供扱いを容認し続けねばならない?十数年も前からずっと怒りに圧され潰れ踏みつけられ、
それでも蹴飛ばして意地で立ち続けてきた。怒りだけで。私自身を食いつくすほどの強さを
持つ怒りだけで。
 だから、自分を支えることはできる。 
 だが、大事なのは実力をつけることだ。子供扱いされるのがイヤなら、それだけの実力を
持つのが筋だからだ。いくら自分を支えても、前に進むことができなければ、何も変わらな
い。くだらない自己肯定に染まっている目ざわりな人間と何ら変わりない。 

 だから、私はどうにもならない怒りを、不完全燃焼の燻りを、自分の中で、心の深いところ
で、密かに冷ややかに燃やし続けながら、先を目指し続ける。
 
 誰にも否定させない。
 私は一人だ、今までもこれからも、ずっと。
 一人の覚悟を決めて、一人で立っていく。
 こういう不器用な生き方を嘲笑いたければ嘲笑っていいし、侮りたければ侮っていい。
 私は、そのたびに愚かしくも素直に真っ当に不快な思いをするだろうし、傷つくこともある
 だろうが、ただひとつ、それによって揺さぶられたり曲がったりなどはしてやらない。
 そして、いずれ押しも押されもせぬ何者かになること。それだけを見据えて先に進む。
 いきなりですが、今日のニュース記事の中から、目についたものをひとつ。

 
  《Sarah Palin telefoneert met "Nicolas Sarkozy"》

   Sarah Palin, de vicepresident kandidaat van de Republikeinse partij,  had een
telefoontje van een Canadese radiopresentator, Sebastian Trudel, die Nicola Sarkozy
voorwendde te zijn.
   Palin zei dat ze het erg leuk vond om met "de Franse president" te kunnen
spreken, en dat ze en John McCain heel veel respect hebben voor hem. Trundel
bracht de verkiezingscampagne maar slechts kort te sprake, toch sprak hij
enthousiast over jacht, die volgens hem hun "common hobby" is.
   Het lijkt dat Palin wist niet dat ze met de "valse" Sarkozy sprak. Ze stelte hem
voor om eens samen te gaan jagen.
   Als het  echt gerealiseerd wordt dat  Palin in 2016 voor de president kandidaat 
wordt zijn (zoals zijzelf haar goede wil getoond heeft aan de telefoon), en haar
tegenstanders gaat jagen, moet de jachtcampagne dan door de radiopresentator
rechtsstreeks uitgezonden worden.

    ※  ※  ※  ※  ※

 ええと。
 このところ、ガセ情報だのドッキリまがいの企画の餌食になった有名人のニュースがちょく
ちょく続いています。
 先週にも、イギリスのBBCラジオの番組で、有名俳優宅の留守電に、その俳優の孫との
肉体関係をほのめかすメッセージを録音する、というイタズラ企画をやったコメディアンが
番組を降板させられる騒動がありましたが、今回は、アラスカ州知事にして、共和党副大
統領候補のサラ・ペイリン女史ですね。

 サルコジ仏大統領のふりをしたカナダのラジオ番組司会者からの電話に、大変に愛想よく
お答えになっておられました。
 結局、最後まで、相手がニセモノだと気づいてなかったのでは…?という意見が大勢のよう
ですが、ネット上にあがってきている録音のやりとりを聞く限りでは判断つきませんね。

 第一、すでに定着してしまったサルコジ氏のイメージにも責任がないわけではありません
が、それにしても、電話口の偽サルコジさん、あまりにも軽薄すぎる。
 フランス語訛りが相当強い英語のぎこちなさを考慮しても、いくらなんでも、国家元首が
こんなレベルの会話をするか?という疑念は、ペイリン女史も薄々感じていたのでは。イヤ、
副大統領候補としては、疑念くらい感じていただかないと恐ろしいですが。
 確かに愛想よくフレンドリーな応対ではありましたが、ペイリンさん、全体に、当たりさわり
のない線をキープするのに終始しているような受け答えでした。

・・・ではありますが、やっぱりまるっとだまされていらっしゃったんでしょうかね?

「アナタはいずれ大統領になると思っている」という偽サルコジ氏のヨイショに対して、半ば冗
談めかして、「8年後に、ですかね。たぶん!」とペイリン女史。
 
 言っちまいました・・・
 
 女性初(おそらく初でしょう8年後でも)の米国大統領の座、ライフル協会会員の狩猟家知事
にとって、的として不足はないようです。

  ※  ※  ※  ※  ※

 ドッキリまがいの企画って、笑えるレベルと笑えなくなるレベルの間の線引きが難しいです
ね。例のイギリスの騒動も、ブラウン首相がBBCに苦言を呈するほどの問題に発展しています。

 ガセ報道で思い出すのが、管理人が目下暮らしている、曇天のビール大国の国営放送(!)
が、2年前の年末にやらかした「分離独立架空報道事件」。

 言語境界線でまっぷたつのこの国が、とうとう分裂した!国王は亡命!境界線付近一帯は
封鎖!と、あおるだけあおって、しばらくしてから「ウソだよ~ん」とテロップを流す、という、思
わず殴ってやりたくなるようなハタ迷惑な事件でした。

 ただ、この場合、非難が集中したのは、もっぱら番組の手際の悪さというか、フォローの不
備だったように感じます。
 テロップが出たのは最初の報道から30分経過した後。時間的に見て、明らかにコーヒー休
憩を間に挟んだ感じですねー(笑)
 ネタ自体は、なかなかに自虐的で、笑えるけど笑えない微妙な線をわきまえていて、許容
範囲内ではないか、というのが私の感想でした。
 放送局に問い合わせの電話が殺到したとはいえ、それはフォローがタイムリーでなかった
から、アレ?マジで?と確認のために問い合わせた人がほとんどだったでしょう。

 この、常雨のバイリンガル国家、ええい面倒だ、要するにベルギーですが、ご存じの方も
多いように、北部(ヴラーンデレン)と南部(ワロニエ)の二つの共同体から成っておりまして、
言語の違いに端を発し、もっぱら深刻な経済格差を直接の原因として、常に分裂の危機に
揺れ動きながら、それでも、どうにかこうにか統一を保っている、という不思議な国です。

 過去に重工業で栄えたワロニエですが、前世紀半ば頃を境に衰退期を迎え、対してヴラー
ンデレンがハイテク・情報分野での目覚ましい発展を遂げたことにもより、完全に経済的地
位が逆転して今日に至っています。 
 ワロニエの言い分もあることでしょうが、ヴラーンデレンにおりますと、南部の分まで北部
が面倒をみるハメになっている、という不満が表出する場面に多々遭遇します。
 ヴラーンデレンの極右政党を筆頭に、分離独立を求める動きは、特に北部には厳然とし
て存在しているのです。
 
 2年前の架空ニュースは、発信元がワロニエ側の国営放送であったという点で、ある意味
自虐的ではありますが、同時に、南はもとより、北でも受け入れられている現状認識の根本
的土台(つまり、性急な分離独立によって政治的に弱体化する道を選ぶより、とりあえず
今ンとこはくっついたまんまでいよう、という)があるからこそ、どうにか「お騒がせ」の域で
とどまっていられるのです。
 
 さてさて。
 ペイリン女史のニュース続報は、別に大したことにもならないでしょうが、BBCのほうは、
ちょっとイタダケナイ話でしたね。
 人気コメディアン、つまり笑いのプロともあろう人なら、笑えるレベルと笑えないレベルの
分断線には、この上なく敏感であってしかるべきものを。もっとも、エンターテイメントの世界
では、往々にしてその敏感さが、視聴率だの話題性だのという重圧の前になおざりにされて
しまうわけですが。でも、それは言い訳というより弱音にしかならないでしょう。

 個人的には、「他人を笑う」というのは非常に度胸のある行為だと思っておりますので、あえ
てそれをする場合には相応の準備と配慮と覚悟が要る、という教訓を改めて強く感じさせられ
たニュースでした。

 
 冒頭のたどたどしいオランダ語は、私がVRT(ヴラーンデレン側国営放送)のニュースを
自分の言葉で要約したものです。
 間違いがあろうがなかろうが、とにかく書くこと(そしてもちろん、話すこと)を習慣化しない
限り、いつまで経っても語学は身につきません。当たり前ですが。
 今後、こういう形で、できる限り毎回、オランダ語でのニュース紹介などを載せていきたいと
思っています。
 間違いの指摘、ご意見など、お気づきの点があれば、ぜひご教授くださいますよう。よろしく
お願いいたします。
 

 VRT当該記事リンク↓
www.deredactie.be/cm/de.redactie/buitenland/081102_Palin_Sarkozy


戻って参りました。


テンプレートも白基調のものに変更し、気持ちを新たにして
2年目日記を開始いたします。


管理人は、現在、暫定半年の滞在延長を申請して、未だ不安定
な非正規学生の身分で留学先に踏みとどまっております。

正規コースへの出願は済ませていますが、受理されるか否かは
まだ不明で、なかなか気を抜くことができない状況にあります。

したがって、日記再開はしたものの、更新は滞りがちになると思い
ますが、まあ、とりあえずの生存報告代わりに、時々見ていただけ
れば幸いです。



 相変わらず、「あがいて もがいて 一日がゆく」毎日ですが
 御用とお急ぎでない方、お気が向きましたらおつきあいくださ
 いますよう・・・


ご無沙汰しております。

唐突ですが、ブログを閉じることにしました。

年度の変わり目でいろいろとバタバタしていまして、
ちょっと当分、復帰できなさそうです。

それに加えて、ちょっと最近、精神衛生上良くない
ことがいろいろとありまして、ブログで愚痴るような
情けない状況に陥りたくありませんので。

ひとつだけ言うなら、ホント、くだらない人間との関係
は早めに切っておいたほうがいいですね。
百害あって一理なしです。
そしてまた、そういう人間関係は、バッサリ断ち切った
ところで後々後悔なんかしないもんですよ、意外と。
たとえ相手が同じ分野の研究者(自称)でもね。

自分の判断を信じましょう。

・・・ということで、自分への教訓でした。


2週間以内に閉鎖しますので、よろしくお願いします。

今まで訪問してくださった皆様、ありがとうございました。

 

更新停止したHPの代替として
新しく作品の収蔵庫作りました↓

http://dekleurlozen.web.fc2.com/

多少、落書きの数が増えただけで、
前のHPと大して変わり映えしませ
んが。

興味ある方はどうぞ。


Hier is het adres van mijn nieuwe website ↓

 http://dekleurlozen.web.fc2.com/

Daarop staan mijn tekeningen die van de 
oude website overgebracht zijn.

ここ数日の真夏日もひと段落したようで、今日はしのぎやすい薄曇りの一日でした。

OBの研究者の博論出版記念のプレゼンテーションがあDSCF2505-2.jpgったので、
アントウェルペンに出かけてきました。

会場は “ロコックスの家”。 17世紀初頭にアントウェルペン市長を
務めたニコラース・ロコックスの邸宅美術館です。17世紀のインテ
リアに囲まれての、何とも豪華なプレゼンでした。

著書のテーマは”社会的構築物としての、17世紀アントウェルペン
における芸術支援活動の研究”。要は、パトロネージ活動において
当時のエリートたちが果たした役割を、社会システムの中に位置づ
ける試みです。私もまだ読んでないので、あまりよく知りませんf(^^;

DSCF2463-2.jpg  ベルギーでは、学会はもとより、
  どんな小さな内輪の研究会でも、
  終了後にレセプションが準備され
  ていることが多いのですが、今回
  は博論出版というめでたい場だっ
  たので、懇親会もまた豪華。  
  アントウェルペンまでの国鉄の平日料金の元を取りたい
  oeverは、この後、あちこち回る予定だったので、飲み過
  ぎないようブレーキをかけるのに一苦労でした。
  
  2時頃お開きになった後、まずはそのままロコックスの家を見学。
  企画展はそれなりに、脱・マンネリを目指して頑張った感がありましたが、
いかんせん、テーマが今ひとつ陳腐な上に大づかみで。Ooggetuigen an de Schelde, 
「スヘルデ河岸の目撃者」展…?? 直訳するとどうにも妙なタイトルですが、要は、衣・食・住はじ
め、17世紀のアントウェルペンの市民生活にズームインしようという企画です。

それなりに面白かったのは、17世紀の美術品・家具調度と、
王立アカデミーの学生の作品DSCF2428-2.jpgとの並列展示。
いや、ただ単に、同じモティーフを表現した古今の作品を持
ってきて並べただけの比較展示ならよくあるんだけど、ここ
のは、「同じようなモティーフを扱うに際して、昔と今とでどの
ような“感覚の違い”があるか」という、より本質的な問題に
それと意図せず迫っていて、興味深かったです。
                                    DSCF2429-2.jpg                       
   どういうことかと言いま
   すと、右の写真、“食物”
   に関する展示のある
   大サロンなんですが、
   壁には、ビューケラール
   の市場画やスネイデル
   スの食卓画など、DSCF2434-2.jpg
   食物をテーマとする
   17世紀の絵画を展示し、
その横に、王立アカデミーの生徒さんたちの魚のリアル
イラストレーションや海洋生物のモティーフをデザインに用
いたセラミック、食品サンプルっぽいオブジェなんかを展示
しています。
かつては、市場画・食卓画を中心とする“タブロー画”のモティ
ーフだった魚や青果は、今ではインダストリアルデザインや、
リアルイラストレーションの分野で生き続けている。
もはや、市場画や食卓画って、現代ではあんまりニーズが
ないわけですね。少なくとも、一般家庭において、17世紀と
同じように、食堂やキッチンの壁に飾るために必要とされる
ことって、ほとんどないはず。
でも、個々のモティーフはちゃんと生き残っていて、図鑑の挿絵だの、陶器の絵付けだの、
食品サンプルだの、専らそういう実用的なもの、デザイン的なものに引き継がれている。

これは別に市場画、食卓画に限ったことじゃなく、伝統的なタブロー画の全ジャンルに
おいて共通していることですが、印刷技法の改良、写真の発明、様々な新しいメディア
の導入、映像など3次元のイメージの普及、その他諸々の変化を経て、絵画は一般生
活からむしろ遠ざかっていった。
変わったのは、表現技法や美意識という表層だけじゃない。根本的な“受容”の在り方、
美術という“不必要な必需品”に対する姿勢そのものが変化したのです。
これはまあ、当たり前っちゃ当たり前のことなんですが。
でも、様式やイコノグラフィーといった表現形式面の研究を切り捨てるわけにいかない
美術史という学問の枠の中で、ともすれば無視されてきた感があるのが、この“受容”
という側面でした。
さすがにかつてのような図像学一辺倒の論文は見られなくなりましたが、それでもやはり、
“誰が、どこで、何のために”その作品を必要としたのか、という最も根本的な問いを明ら
かにする作業は一筋縄ではいかないのです。
ひとつひとつのケーススタディが、長い時間をかけて大きな情報の集積となり、その中か
ら、確実にいえることを精選していった先に、初めていくつかの学術的成果が生まれる
――地味で孤独で、忍耐を要求される作業ですが、それでも自分が今取り組んでいる
ことが、何かの形でこの分野の発展に資する日がくることを信じつつ、私も細々と研究を
続けている次第です。

DSCF2490-2.jpg  相変わらず静かで落ち着いた美しい庭園を歩き、
  ピーテル・ブリューゲル二世の《ネーデルラ
  ントの諺》(ベルリンにある父ピーテル一世の
  同主題作品のコピー)を観て、ロコックスの家
  を出ます。さて、次は南へ。
  
  アントウェルペン・ベルヒェム駅からほど近い、
  コーヘルス・オシレイという通りを散策します。
  
  ここはアール・ヌーヴォーDSCF2519-2.jpg建築
  で有名な一画で、やたらクルク
  ルうねうねした建物がいっぱいなのですが、その他
にも、ネオ・ルネサンス様式、アール・デコっぽいのなど、
様々なスタイルの建築が混然と個性を競いあっています。

もともと、ここは19世紀~20世紀初頭にかけて開発された住宅
地区で、歴史主義建築全盛の時代に、お金持ちが競って様々
な様式の邸宅を建てたという背景があります。

DSCF2570-2.jpg   今では多くの建物が文化財扱いになっているものの、だいたい
   が一般の人の住居として使われているそうです。通りを歩いて
   いて、何度か、貸家を示す”TE HUUR”の立て看を見ました。
   価格は明記してありませんでしたが、いったいoeverの家賃の 
   何十年分に相当するのやら…
  
   ともあれ、植物のつるのように、絡み合い広がり這い上がり滑り
   下りる階段の手すりやバルコニーの柵、モザイク壁画や人像柱
   など、どっちを向いても、純粋に意匠として目を楽しませてくれる
   建築構造があふれかえっていて、感心して見て回っているうちに、
   すっかり長居してしまいました。

さてさて、最後に、再びセントルムに戻って、久し振りにスヘルデ川DSCF2601-2.jpg
を見て帰ることに。
旧市街側から川に向かうと、川縁に雰囲気満点の石造りの城塞が
姿を現します。13世紀初頭に建てられたステーン城です。
いつもは、この城のふもとにある周歩廊から対岸を眺めて終わりな
のですが、今日は、ふと思いたって、対岸へ渡ってみることにしまし
た。

DSCF2607-2.jpg  エレベーターで地下へ下り、河底を走る
  シント=アンナ・トンネルへ。
  …長い。
   出口が見えん(汗)
  全長572mだそうですが、地下の閉塞感
  のせいか、ものすごく長く感じます。
  やっと渡りきったところで、さらに長いエス
  カレーターを上がり、地上に出ます。
   
DSCF2614-2.jpg     コレコレ →。
  この風景が見たかったんです。
カテドラルの尖塔をランドマークに、淡灰色に霞んだアント
ウェルペンの街。
16世紀の黄金時代、何人もの画家が、この港湾都市の栄光
を讃えるかのように、船舶の行き交うスヘルデの向こうに浮か
ぶ街のシルエットを、作品の遠景に描き込みました。
ピーテル・ブリューゲル一世の《二匹の猿》(ベルリン、国立美
物館)の背景にも →bruegel47-2.jpg

(や、角度が違うのは勘弁してください f( ^ ^;
もうちょっと下流に行ったら、この絵と同じ視点が見つかったかもし
れませんが、疲れてそこまでする余力がありませんでした)

街並みも河岸の様子も大きく変化したけれど、大聖堂の鐘楼
がひときわ高くそびえているのは変わりませんね。画家たちが
目にしたのと同じランドマークを、450年経った今、自分も目に
しているのだと思うと、何だか感慨深いものがあります。


帰り道で迷ったoeverがへろへろと中央駅に辿り着いたのは
19時45分。日が長くなったとはいえ、そろそろ夕暮れ時の車窓
の外には、一面のキンポウゲの野原がそよいでいる風景が
どこまでも続いていました。

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【De Nederlandse versie】

Vandaag ben ik in Antwerpen geweest om een presentatie
door een afgestudeerde student van onze faculiteit bij te wonen,
die net zijn Ph.D thesis gepubliceerd heeft.

De presentatie heeft in het Rockoxhuis, het residentie-museum
van de burgemeester van Antwerpen in het begin van de 17e 
eeuw, Nicolaas Rockox, plaatsgevonden.

続きます。たぶん。

ベルギーは雨がよく降ります。
というよりも、天気が変わりやすく、突然曇ってきて、あっという間に土砂降りに
なったりするので、晴れていても安心できません。

b4c31d49png
←①1週間ほど前のある日の天気図です。

      お日さま+雲+雨マークって・・・

   そりゃ、どれかは当たるわな。  



それにしても。    DSCF1492-2.jpg
4月に雹(ひょう)って、アリですか?
霰(あられ)じゃありません。デカい氷塊が降ってくるアレです。

→②いい写真が撮れなかったので、伝わるかどうか知りません
    が、部屋の天窓を覆う氷の塊です。
    19時過ぎから約30分、バシバシ、ガンガン、と、ガラスを割
    る勢いで、それはもうエラい音を立ててぶつかっていました。

  幸い、外出しなければならない時刻の少し前に止んでくれ
  たので助かったものの、これ、屋外で降られたらたまらん
  ですね。かなりの確率で、流血事件になります。

DSCF1495-2.jpg
 そして雹の合間をぬって、oever がどこに出かけた
 かというと、同じ学科の学生が主催するパーティだ
 ったのでした。
 
 毎回、決まった”色”をテーマに企画されるこのパー
 ティ、今回のコンセプトカラーは緑。
 出席者は緑色のものを身につけるように、とのお達し
 で、あいにく緑色の服を持っていなかったという oever
   の 同級生の一人は、青ガエル柄のトランクスで間に合
 わせておりました。・・・わざわざ見せるなよ(笑)

↑手術着でキメてきた一団もいましたね。もともとエキセントリックな緑色の照明
に照らされた室内で、やたらと怪しい雰囲気をかもし出していました。DSCF1494-2.jpgどこで借り
てきたんだ、ソレ(- -;)。

うちの学部は、特に院生ともなると、なかなか相互交流の
機会がないので、たまにでも、こういうパーティなんぞがあ
るのはありがたいです。

例によって例のごとく、飲み過ぎと酸欠気味で気分悪くなっ
てきたoever、コスプレ医療班は踊り狂うばかりで頼りにな
らないので(笑)、大人しくソフトドリンクに切り替え、夜が明
ける前に退散。

そして翌日、やっぱり二日酔いで悶々とするのでした。

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【De Nederlandse versie】

Het regent veel in België. 
Of, om het meer precies uit te drukken is het weer gewoonlijk  
veranderlijk. We kunnen niet gerust zijn als het tijdelijk mooie 
weer is, omdat  het zo plots kan gaan bewolken en bakstenen
regenen.

De foto① is de weerkaart van ongeveer een week geleden.
Er staat een teken van de combinatie met zon, wolk en regen...
Ten minste moet één van deze drie recht kunnen zijn!

Maar dan nog …  
We hebben hagel vandaag gehad. Is het toch normaal in april? 
Geen hagel"tje" maar echt hagel, ijsklompjes van een diameter 
van 2 of 3 cm, bedoel ik!

De foto② is het dakraam van mijn kamer dat met zulke ijsklompen 
gedekt werd. Vanaf 19 uur hadden ze het glas voor ongeveer 30 
minuten zo hevig gehammerd.

Gelukkig was het gestopt voordat ik vertrok, maar het zou heel 
gevaarlijk zijn indien ik het buiten werd aangetroffen.

Het was een feestje dat door een van mijn collega van de faculteit
van Kunstwetenschappen, waar ik in de pauze van de hagel naartoe
ging. 
Enkele keer per jaar organizeren ze zulke feest, dat elke keer een 
themakleur heeft.
Deze keer worden de deelnemers gevraagd om iets groens aan te 
trekken, in overeenstemming met de conceptkleur. 
Er was een van mijn collega zonder groene kledij maar wel met 
een onderbroek met het patroon van groene kikker.  Niemand 
verwachtte je stripteas, hé !

En er waren andere aanwezigen die operatiekledij aantrokken,
die meer en meer bizare indruk kregen onder het excentrieke 
groene licht. Waar in hemelsnaam hebben jullie ze genomen?

We hebben niet zo veel gelegenheden om met andere doctoraat
studenten kennis te maken in onze faculteit. Dus vind ik het leuk
dat er soms zodanige partijen gegeven worden, zelfs als ik de
volgende dag veel last van een kater zou hebben. 

「四方の道」企画最終弾として、ちょっと遠出をして、40km東の
シント・トライデン Sint-Truiden に行ってきました。
      
最後に残った”東の道”は、隣市 Tienen に通じる Tiensesteenweg。
変速機なしのチャリンコには辛い緩慢なアップダウンの連続で、
しかも途中数kmにわたって二輪車用レーンが消失する悪路を、
片道2時間半かけて突っ走ってきました。
…バカですか?でしょうね。
    ほっといてもらいましょうか(笑)

DSCF0946-2.jpg     DSCF0971-2.jpg      ③

ルーヴァンが属するヴラームス・ブラバント州と、シント・トライデン
を含むリンブルフ州の境界付近は、Haspengouwと呼ばれるベル
ギー有数の果樹園地帯。
中間地点の Tienen を過ぎた辺りから、道の両側に連綿と、白い
花の咲き誇る洋梨畑が続くようになります。


DSCF0999-2.jpg         DSCF0997-2.jpg         DSCF1008-2.jpg

シント・トライデンの街は、この地方出身の聖人トルードが7世紀半ば
に建てた修道院教会を核として発展しました。
オリジナルの建築は、ノルマン人による破壊(9c)、フランス革命時の
修道院破壊運動による閉鎖(18c)、火事(1975年)という度重なるダ
メージを経た結果、完全に姿を消してしまいましたが、現在もなお、11
世紀の大改築期に造られた塔(↑上写真左:①)とクリュプタを見ること
ができます。

まずは街の中心部フロート・マルクトへ。
ちょうど土曜市が立っていて、ルーヴァンのそれをしのぐ人出で賑わっ
ていました(上写真中:②)。普通の青果や畜産品、日用品の他に、
Haspengouwらしく、果樹の苗木や肥料、プランターなどの園芸用品、
さらにはなぜか、活簀に入った観賞魚を売ってたりしました(↑上写真右:③)。

DSCF1010-2.jpg         DSCF1023-2.jpg         DSCF1007-2.jpg

④(上左・中): 修復中のノートルダム教会とパイプオルガン。 
⑤(上右)  : 市庁舎横の鐘楼(17世紀)。ちょうどカリヨンの生演奏がある
          日で、着いたときには独特の澄んだ音色が街中に響き渡って
          いました。       

若干、空が薄曇ってきたので、降り出さないうちにさっさと塔にのぼってし
まうことにします。
約30mの塔の頂上へ至る196段の階段は、oeverの苦手な、下の透けて
見えるタイプ。

DSCF1092-2.jpg      DSCF1056-2.jpg      DSCF1073-2.jpg

てっぺんは、吹き飛ばされそうなくらいの強風が吹き荒んでいましたが、
360度の眺望は素晴らしかったです。ルーヴァンのシント・ピーテルス教会
の尖塔は…さすがに見えないな f ^ ^ )

共通券で入場できるクリュプタと、コンサートホール、迎賓室を見た後、
近くの市立博物館へ。
インフォのおばちゃんは、塔の入場券で博物館も入場できるから、と恩着せ
がましく言っていましたが、HPによるとこの博物館、常時、誰でも無条件で
入館料タダです。
現在開催中の企画展は、”appels met zwembandjes” (浮き輪をつけたリンゴたち)
という果実の収穫~出荷の工程におけるテクノロジー進歩の展示、そして
すぐ近郊のブルステム空軍基地の歴史を中心とする航空関係の展覧会。

DSCF1026-2.jpg    DSCF1045-2.jpg    DSCF1047-2.jpg

空軍はすっ飛ばしたので知りませんが、リンゴのほうはそこそこ面白かったです。
各種果物の収穫から出荷の工程が、展示や映像で詳しく見られる他、用途別の品種の
選び方とか、鮮度の保ち方などのお役立ち情報なんかも。
収穫したリンゴのカートを、水を張ったプールにドサッと空け、水流で測定器の下を
くぐらせて、大きさ・重さ・形・色合い等々の項目を判定し、等級別に分かれたレーン
に流す行程は、結構、視覚的にインパクトがありました。展覧会のタイトルはここから
来ているわけですね。リンゴが水に浮くという性質を利用して、傷つかないよう、かつ
迅速に仕分けする工夫。
デリケートな収穫物を扱う果物産業も、現在ではかなりの部分が機械化されている
ようですが、基本的に収穫は、未だに人間の手作業で行っているそうで、やっぱり
どんなものにも、どうしても画一化・効率化ができない部分ってあるんですよね。その
うち、熟度センサーとコンピュータ制御のレーザー鋏のコンビネーションで、自動収穫
が可能な温室とかが開発されるのか、いや、もう開発済みなのかもしれませんが、
かえって手間がかかりそうな気もします。

市立博物館の次は、フランシスコ会修道院美術館へ。
主として、修道会の歴史や会士たちの生活に関する展示を行っているところですが、
絵画や彫刻に関しても、小品ながら興味深い作品を結構持っています。

DSCF1095-2.jpg       DSCF1097-2.jpg      DSCF1117-2.jpg

⑥(上左) : 子供向けに図解された聖フランチェスコの生涯。
         昨今のご多聞にもれず、この館も子供向けワークショップに力を入れて
        います。
         修道院生活体験wsの紹介では、修道服を着せてもらった子供たちが、
                     腰縄の結び目を作るのに四苦八苦している写真とか貼ってあって微笑ま
                     しかったです。

⑦(上中) : この14世紀の聖母子像は、約400年の間に少なくとも14回の塗り直しの
        手が加わり、マリアの衣服の色だけでなく表情なども、当初とはかけ離れ
        た印象になってしまっていました。 近年、ようやく加彩部分が除去され、オ
                     リジナルの姿を幾分か取り戻すことができたものです。
            修復の分野では、ちょっと有名な作例ですが、まさかここで見られることに
                    なるとは、うれしいびっくりでした。


最後に、ベギンホフへ寄ってみました。
ルーヴァンのと比較すると、だいぶ開けた明るいイメージで、通路が広くて平坦なせいか、
変化に乏しくて、ちょっと趣に欠ける印象を受けました。

DSCF1119-2.jpg       St20Truiden20begijnhofkerk.jpg        St Truiden begijnhofkerk-2

ここの教会には、14-17世紀にわたって描かれたフレスコ壁画が残されています。
マリアの生涯や聖人伝の場面を主題にしており、素朴な色調と形態把握ながら
かえって不思議な力強さを感じます。

そして、Sint-Truidenといえば、TVドラマシリーズ "Katarakt"。
傾きかけた嫁ぎ先の農場経営の立て直しに奔走する、果物栽培農家の嫁の話です。
「白内障」を意味するタイトルが示唆するように、彼女は深刻な眼病に侵されており、
リーマンのダンナは今更農業なんてやりたくない消極野郎、子供たち2人は難しい年
頃、実家の父親は封建主義的で援助なんて期待できそうもなく、母親は何やら秘密
を抱えていて…と、まあ、そこそこドロドロというか、ゴチャゴチャしています(笑)。
ちなみに私は見たことありません。
このドラマ、Sint-Truiden とその隣の Borgloon を中心とする Haspengouw 地帯でロケ
が行われておりまして、観光案内所に行くと、ロケ地を巡るための Katarakt地図なんて
ものをもらえたりします。
ベギンホフの近くには、”Kataraktインフォセンター(笑)”があり、キャラクター紹介だとか
ドラマのワンシーンのパネル再現だとかを見ることができます。きっと熱狂的Kataraktファ
ン(そんなものがいるのかどうかは知らんが)にとっては聖地ですね。

DSCF1125-2.jpg     DSCF1124-2.jpg     DSCF1018-2.jpg 

というわけで、東の道の、先の先のそのまた先くらいにあったのは、梨の花の咲き誇る、
歴史と産業とエンターテイメントが同居する静かな里でした。
あまり書きませんでしたが、途中の果樹園地帯はやはりなかなかの眺めで、二輪車用
レーンが消えた本道から迂回して脇道に入る度に、林の奥にそっと隠されたような、絵
みたいにきれいな村に行き当たって、何度かそのまんま足を止めてしまいたい気分にな
りました。



ブリュッセルやアントウェルペン、ブリュッヘ、ヘントといった観光地ももちろん良いです
が、こうした近場の街や都市にも、それぞれちゃんと歴史があって、役割があって、そ
の流れの中で営まれてきた人々の生活がある。
当たり前のことですが、そういう埋もれた時間の流れに目を向けてみるのも、時には面
白い、そんなことを感じさせてくれた四方探訪の小企画でした。

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学生
自己紹介:
あがいて もがいて 一日が往く
喚いて ほざいて 一日が往く
逆らい 歯向かい 一日が往く
当たって 砕けて 一日が往く
(中島みゆき「本日、未熟者。」)
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