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ビールとにわか雨と言語境界線の国で、 美術と歴史の迷宮を彷徨中の 留学生活の覚書
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今朝、
正確にいえば、つい10分ほど前ですが、
目が覚めた瞬間、まったく唐突に何の理由も前触れもなく

  〈言論の自由〉って、オランダ語でなんて言うんだろう?

という疑問が浮かんで、気になってどうしようもなく、二度寝
なんてできるわけもなく、パジャマのまんまVan Dale詳解版
を引きまくった管理人です。
若干、イってますな・・・


それにしても、最近、朝が暗いことといったら。

7時なんて真夜中と何ら変わりません。街頭の灯りの煌々
たる中を、自転車のライトをつけて出校したりするわけです
が、やっぱり朝は結構、注意力散漫だったりもする。

そのうえ、先週一週間は、週始めに降った雪がそのまま積もって
凍りつき、かなりデンジャラスな状態でした。

・・・って、別に、oeverが例年どおりアイスバーン化したリングで
早速、すっ転んだとか、そういう話をしたいわけじゃないんですよ。ええ。
そんな戯言のために、とうに忘れ去ったパスワードを四苦八苦の上に
探り当てて、〈開かずの間〉 (と書いて「当ブログ」と読む) をこじ開けた
わけではないのです。
たぶん。


かといって、何が言いたかったのか、今となっては知る由もないのです
けれども(笑)、


おそらく、睡眠不足だ、とでも主張したかったのではないかと・・・


何時に寝ようが、勤勉にも5時6時に目が覚める習性、ここ1ヶ月
ほどの間に、急に、頼んでもいないのに身についたものなんですが・・・ 
何とかならんものか。
トシのせいですかそうですかそうですねきっと。

たぶん、朝、暗いのにもかかわらず、目が覚める時刻が日々
早くなっていく不条理さに、寝起きのアタマの混迷ぶりが要らん
スイッチを押してしまって、ひとこと書かねば、などという気の迷
いを生じさせたのでしょう。

結果、大絶賛放置プレイも1年未満で幕引きです。

あ、これ以上やってっと遅刻する。そろそろ出かけます。



それで、

結局、〈言論の自由〉はどう表現するのかといえば

 de vrijheid van meningsuiting

となるようです。

mening (意見) + uiting (表明)というわけで、「言論」ですね。

確かにな。そりゃそうだ。という以上のなにものでもありません。

ちなみに、英語から逐語訳すると、
Freedom of speech → Vrijheid van spraak ???
これでも通じなくはないようですが、なんだか”言語能力/
話し方/発音の自由”みたいな誤解の余地がなきにしもあら
ずで、若干、荒削りな不親切感が漂います。
⇒!訂正!
  
オランダ語話者の友人に確認したところ、
  
   Vrijheid van spraak という言い回しは
通用しない
     
そうです。
  
  
大至急お詫びして訂正します。

英語やドイツ語との近似性ばかり強調されるオランダ語
ですが、”全く同じ”感覚が通用する言い回しは、実のと
ころそれほど多くない。

文法的に正しいとか間違っているとかじゃなく、

 より自然な言い回しは?ヴラーンデレン人なら何て言う?

という視点の重要性に、ようやく真剣に目が向くようになって
きた4回目の冬です。

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 謹んで新春のお慶びを申し上げます


 明けてしまいました、2010年。
 何も先に進んでいないうちに、また1年が過ぎてしまったことに愕然
 とするばかりですが・・・

 今年は、少し足元を見直して、その場その場のひとときを楽しむ
 ゆとりを持つよう、心がけていくつもりでいます。
 
 泣いていても笑っていても、世界は回り、人生の時間は過ぎてゆく。

 d81dfe91.jpeg
669bbc50.jpeg










    ▲ヘンドリック・テル・ブリュッヘン(Hendrik ter Brugghen)
   《”笑う”哲学者と”泣く”哲学者 - ヘラクレイトスとデモクリトス》

   (images:Rijksmuseum Amsterdam
    http://www.rijksmuseum.nl/aria/aria_artists/00017224?
    lang=en&context_space=&context_id
=)

    (わかりにくいですが、左のヘラクレイトスのほうは涙を流しています)

 
 余裕の持てないときであっても、余裕の持てないときだからこそ、
 心の持ちようだけでも余裕を忘れないことが大切ですね。
 
 相変わらず、”あがいてもがいて一日が往く”3年目、お気が向きましたら
 おつきあいくださいますよう。。。

    ※        ※        ※

 DSCF9145-2.jpg
 → 超新星爆発!
 
    ではなくて、

    ルーヴェンの2010年年明けの花火です。

   今年は、こちらでも大晦日から元旦にかけて冷え込み
  ましたが、予想に反して雪は降りませんでした。ブリュッ
  セルのグランプラス恒例年越し花火は、さぞかし盛況
  だったことでしょう。
   新型インフルが一段落の兆しを見せ始め、例年に比べ
  て少ないものの、年末年始を海外で過ごす人もかなりい
  らっしゃるようです。昨年末は最後まで、バイトの関係で
  王立美術館に通うハメになっていたのですが、日本人
  観光客の多さが目立ちました。

   oeverの住む辺りでは、いつものように、さほど盛り上がることもなく、粛々と
  新年を迎えました。
   下宿のある通りを、さらに3分ほど下ったところに、知る人ぞ知る花火の打ち
  上げスポットがあるので、今年も、近所の方々に混じって見物に行ってきました。 

DSCF9191-2.jpg   大晦日の20時過ぎくらいから、散発的に
  打ち上げが始まり、23時半頃からが本番。

   今年は結構人が集まっていて、皆さん
  ご近所なので、自宅からビールのグラス
  やココアのマグカップを持参して、ほのぼ
  のムードの立ち見です。

  DSCF9116-2.jpg 
   他の都市のは知りませんが、ウチの近所
  の花火は、日本のように大輪一発上げのも
  のは少ないです。柳花火っぽいものとか
  噴水状に吹きあがるタイプのものを、同
  時に打ち上げて、色や火花の軌跡が重
  なるのを楽しむのですね。
 
 この紫と金のコンビネーションは、お正月らしくてイイな、と思い
ます。

DSCF9195-2.jpg
  クライマックス。

  
  誰からともなくカウントダウンが始まり、
  ”ゼロ”の声とともに、思い出したように
  そこここで拍手が。
  地方都市ルーヴェンの端っこらしい、
  力の抜けたイイ感じの年明けでした。

 それにしても、花火の写真は難しいですね。
 上手く撮る方法はないものか・・・


 それでは、まだまだ寒さも厳しくなるばかりの折、皆様お身体ご自愛ください。

 新しい1年が実り多いものとなりますように。 

このところ、朝晩冷えるようになって、ベルギーもすっかり秋め
いてきました。
日本にいた頃は、夏用の肌掛け布団から冬用布団に切り替え
たり、扇風機を片付けたりする作業に季節を感じたものでしたが、
ここでは冷房器具も使う必要がなければ、掛布団も年中同じ
間(あい)の季節用のもので済んでしまうわけで。楽ではありま
すが、ちょっと味気ない気もします。


先日、Huldenbergから帰る途中、ちょっと綺麗なものを見ました。

昼間、雨が降ったり止んだりの空模様だった日のこと。
暮れかかる刻限には晴れてきて、いい月が出ていました。
自転車で爆走する道すがら、ふと白いものが視界に飛び込んできて、
わざわざ戻って見てみたら、月明かりに照らされた空き地の一画が
なにやらポウ…と乳白色に浮かび上がっている。

DSCF2193-2.jpg








地面近くの低い位置に、這うようにして霧が立ち上っていたのです。
「地霧」と呼ぶそうですね。

DSCF2182-2.jpg 








しん、と静まり返った木立の中、もやもやと、ゆらゆらと、漂うでもなく
溶けゆくでもなく、わだかまり続ける白い闇。

ただの自然現象だとわかっていても、つい、何か超自然的なことが
起こるのを期待してしまいそうになる、それほど幻想的な光景でした。

DSCF2196-2.jpg






 

行ってまいりました、ビエンナーレ。
非常に見応えがありました。
一日平均8~10時間、展覧会と美術館を渡り歩く毎日でした。
ガラス工房で有名なムラーノ島も、ちょうど国際映画祭が開催中
のリド島も無視、ゴンドラにも乗らなけりゃヴェネツィアングラスの
店をのぞくこともなし、非常に生真面目な旅でしたが、美術だけで
お腹いっぱいなので満足です。

こんな機会でもなければ、普段、現代美術の展覧会をじっくり見る
ことなどないのですが、さすがビエンナーレ、世界中から無数の作
家が競演を繰り広げていて、面白かったです。


ヴェネツィアで見てきたものを少々。

DSCF2296-2.jpg  こちら、ジャルディーニ会場のスペイン館
  の展示です。ミケル・バルセロ(Miquel
  Barceló)の作品。
  素焼きの円筒に絵を描いただけに見えます
  が、バイソンの尻や頭の部分は地肌に凹凸
  をつけて半立体的に表現しています。
  これがなかなか視覚的に面白い。
  ラスコーの洞窟絵画の現代版ですな。




DSCF2303-2.jpg 同じ作家の作品。
 同じく素焼き壺に半立体の魚。
 口の部分が開口部になって
 いる。花とか一輪ずつ挿した
 ら面白いかもしれない。
 うん、コレ欲しいな(笑)



DSCF2309-2.jpg こちらは、ベルギー館。ジェフ・ヘイス(Jef
 Geys)の作品で、ブリュッセル、モスクワ、
 ニューヨーク、ヴィルーバンヌの4都市で
 採集した道端の植物を押し花にし、学名や
 効能などの情報と、採った場所の写真と共
 に展示したもの。
 中世の本草図譜、郊外の公園なんかに設
 置されている植生地図、ひと昔前まで夏休みの課題で作る子供
 も多かった押し花標本、と、いろいろなところから着想を引き出し
てきて、全く新しい作品に仕上げている。

DSCF2356-2.jpg
 これは国際パヴィリオンに展示されて
 いるドイツのハンス・ペーター・フェルト
 マン(Hans-Peter Feldmann)のイン
 スタレーション。
 影絵の技法を使った単純なものだが、
 泡だて器とか栓抜きとか、よくわから
 ないフィギュアとかがくるくる回りなが
 ら映し出す影は、不思議に幻想的で
 面白い。


 DSCF2385-2.jpg  
  これは常に写真を撮る人で混雑していた
  アルゼンチンのトマス・サラセノ(Tomas
  Saraceno)の作品。
  部屋中に黒いワイヤー(というか若干伸
  縮性のある太い糸みたいなマテリアル)
  を張りめぐらして、ネットワークでつなが
  った現代社会を表現している。
  宇宙空間のような、放散虫とか海の生物
  を想わせるような、不思議な世界。



DSCF2642-2.jpg こちらは、アルセナーレ会場のブラジル人アーティスト、
 リジア・パペ(Lygia Pape)の作品。
 暗闇の中に浮かびあがる金色の光の帯が美しい。





  
DSCF2654-2.jpg   DSCF2657-2.jpg

こちらは同じくアルセナーレのSunil Gawde(インド)の作品。
丸い円をくり抜いた板の裏に、時計のゼンマイ仕掛けのよう
に回転する板を取り付け、月が満ちたり欠けたりする様子を
表現している。DSCF2651-2.jpg

→裏側 
 なかなか複雑。
 こういうの、数学的な素養がないと創れないだろうな。
 oeverには逆立ちしてもムリだ。



DSCF2771-2.jpg 発想の面白さで際立っていたのがこちら。
 中国のChu Yungの作品。DSCF2772-2.jpg
 わかりますか?

 暗闇にポツポツと明滅する光点は、すべて    
 電化製品のパイロットランプ。

 同じショットをフラッシュ有りで撮るとこうなり
 ます→



DSCF2471-2.jpg  他、面白かったのは、アイルランド館の
  Kennedy Browne(ケネディとブラウン
  という二人のアーティストのコラボレー
  ション)の作品。
  アイルランドの展示は、ジャルディーニ・
  アルセナーレの2メイン会場ではなく、
  市内の別の建物を借りてやっています。
  
  これは、発想としては単純な伝言ゲーム。
DSCF2473-2.jpg
 一番左上にある英語のテキストを、順次、次々に
 他の言語に訳していきます。

 「この鉛筆を見よ。この鉛筆を作ることができる者
  は世界に一人たりともいない。意外に聞こえる
  発言だろうか?否、全くそんなことはない。・・・」





DSCF2475-2.jpg この英語ヴァージョンが次々と転訳されていって、
 イタリア語から日本語に訳されたヴァージョンが
 こちら。

 「鉛筆して下さい。これは、世界のことができる鉛筆
  ではありません。非常事態宣言?がある・・・」

 ・・・なんのこっちゃ。



機械翻訳特有の文章崩壊。ディスコミュニケーションの可笑しさですね。一つひとつ
の単語レベルでは決して間違っていなくても、文として意味をなさない、という。
機械化も極限レベルに到達しつつある時代の、どこか不条理な不器用さを諷刺して
いるように思います。


DSCF2799-2.jpg   DSCF2804-2.jpg

個人的に好きだったのが、こちら。
アルセナーレの香港館はPak Sheung Chuenの作品です。
韓国釜山のアパートの一室で、延々、呼気をビニール袋に詰め続ける
男性のVTR映像が、高速の早送りで流され続けます。
単純作業の繰り返しと、どんどんスペースを侵食していくビニール袋の
山が、早送り映像によって、どこかコミカルに表現されていく。
妙に不条理で笑える作品でした。
アーティストのコメント;「釜山のアパート(6.7mx2.7mx2.2m)に入居し、
そこで普通に生活しながら、自分の呼気を透明なビニール袋に集め
続けた。袋が部屋を埋め尽くすまで10日かかったが、僕は自分の生活の
一部が、このアパートの部屋に取り込まれたように感じた。」
 
         *           *           *

ここで出した写真は、いずれもoeverのような初心者にもわかりやすい
綺麗めな作品ばかりです。
もっと笑えないのやグロテスクなのをたくさん見ましたが、そちらはまた
後日。
結論として、現代美術を楽しむには、それなりの心のゆとりというか、遊
び心が要求されるように思います。見る側に余裕がないと、「何ソレ」とか
「ワケわからん」という困惑や、さらにはいら立ちすら感じるかもしれませ
ん。精神的に、いろいろなものを受け容れるゆとりがあるときに見たほう
が良いです。これは現代美術に限らず、古い時代の作品でも同じです
が、いわゆる〈幸福な出会い〉というヤツ(つまり、はっきりした理由の有る
無しにかかわらず、”ストンと腑に落ちる”というか、”いいなあ”と思える作
品に出会う瞬間)というのは、見る側の精神状態がオープンであるときに
訪れる確率がぐんと高くなるのです。


最後にヴェネツィアの風景。
地元住民も観光客もひっくるめて、様々な人がそれぞれの時間をそれ
それのペースで生きている、洗練されていて整ったものも、その裏側で
打ち捨てられたり顧みられないものも、どこか臆することなくあるがまま
に存在している、そんな雰囲気を感じる街でした。
 DSCF2470-2.jpg     
      DSCF2481-2.jpg

早いもので、あと2週間で新学期です。
更新がない代わりに、過去の覚書の抜粋を載せてみます。
前の学期始めに何を考えていたかについて。


 2009/02/09
  今日から新学期。
  ようやく風邪が一段落した途端に、今週は何だか知らんがゴチャゴチャと慌ただしい。
  まずは今日、語学学校の登録と、できれば保険契約に行き、午後には、顔を見たいわけも
 ない前大家のところに行って郵便物(ユースホステル協会からの封書)を受け取り、その足
 で夕方のオランダ語コースに登録する。
  明日火曜日は、朝、おそらく荷物が届くのを受け取り次第、日本学の授業へ。その間に図
 書館で用事を済ませ、夕方にはHuldenbergの知人宅へ。
  水曜日は美術館学の授業と、語学学校。
  ようやく夕方まで空き時間ができる木曜は、来週の月曜日の教授との面談の準備を全速
 力で整える。そして17時から語学学校。
  金曜日は、アジア大の学生が大学を訪問するそうなので、世話役をしている神父様のお
 手伝いとして顔を出すことになっている。
  そして土曜日、一週間持ち越しのWillem氏との王立美術館訪問。
  ・・・日曜日というのは正しく安息日だと、こんなにも実感したことはない。
 
ともかくも、今日、月曜日。
  朝10時5分前に語学学校の登録に行くと、すでに長蛇の列ができている。いつものBie女
 史に加えて、非常にぶっきらぼうなおばさんの二人体制で受付をしている。
  おばさんのほうの列に並んで、レベル4のレギュラーコースに、というと、PCでチェックし
 て、アンタ、もう登録してんじゃん?・・・ああ、なるほど、もう一回やり直すんだね、と言わ
 れる。ハイ、そのとおりですがソレガ何カ?(笑)
  そんでもって、いつもは細かいことは自分で確認しろ、とばかりに放ったらかされるので、
 今回もそうだろうと思い、クラスについて質問しようと、En, …と言いかけたら、向こうが心
 得たとばかり、ああ、今日は17時から19時、教室は01.122だよ、おやおやこの教室は定
 員20人だね、気の毒に、こりゃスシ詰めだワ、とひょいと肩をすくめて見せる。ぶっきらぼ
 うなふうに見えても、別に怒っているわけでも何でもない、普通に饒舌だ。ベルギー人の
 表情はまだまだ読みにくい。が、こういう愛嬌の現れ方は嫌いじゃない。
  そのとき、おばさんの手元のリストに書かれていた講師の名前がチラッと見え、あれっ、
 Kittyのクラス?と尋ねると、そうらしいね、との答え。やった!またキティの下で勉強でき
 るのはうれしい。今期もEvellinだったらどうしようかと思っていたところだ。これまで6期間、
 ILTに通い続けてきたわけだが、やっぱり講師との相性って大事だと感じる。合わない先生
 だと最後までしんどい。お互いがお互いを好きじゃないのは嫌でも表に出るし。とはいえ、
 一番肝心なのは自分の努力とモチベーションであることには変わりないけれど。
 
  登録を済ませた足で、保険契約の相談を受け付けているSocial Dienstに向かうと、オ
 フィスは閉まっていて、今日の受付時間は14時からだいう臨時連絡の貼り紙が。別にい
 いけど、ここは毎日、こんなふうに当日になってからその日の開室予定を貼り出すのか?
 今日はどっちにしろムリだから、明日出直すことになるだろうが、明日も14時開室とは限
 らない。不便だな。
  しかたがないので、その足でまた、Fochpleinまで出て、前の下宿を訪ねるために、久々
 にGasthuisberg行きの370番のバスに乗る。懐かしい風景。最寄のHerestraatのバス停
 付近は、相変わらず大規模な住宅群の新築工事が続行中で駐車場もできたりしているも
 のの、やっぱりあまり変わらない。
  11時ちょっと前くらいに旧下宿先に着いてインターフォンを鳴らすと、前大家の夫人のほう
 が出てきた。相変わらずハチミツの甘さ的なものを感じる、とろけるような笑顔。あー…基
 本的に悪い人ではないとは思う。でも、やはり絶対的に“合わない”。郵便物を渡してもら
 い、上がっていける?と聞かれて、いや、11時半に面会予定がありますので、と辞退する。
 それでなくても授業の準備をせねばならないし、長居したくないっつーか、端的に言って
 サッサと帰りたい。そこを引きとめられて、つい先日、アフリカにいる娘が送ってきたという
 6か月の孫の写真を見せられる。
  その後も、今やっている布教活動のこととか、近所のまだ30代半ばの若い父親が自殺し
 たとか、今はみんなが希望をなくしている、それを救うのは信仰しかない、とか、若干目を潤
 ませつつ、、、うーむ。。。こういう世界、別に、あるレベルまでは無害っちゃ無害だし、個人の
 自由ではあるんだが、途方もなくむず痒くて、全速力で回れ右して逃げ出したい私がいる。
 どっちにしても深入りしたくない。いや、半歩踏み入れるのさえも御免こうむりたい。本能的
 な部分で、何かが狂っているのを感じる。※
  帰りがけに、階段に積んであった聖ニコラス祭のプレゼントの山を見せられ、来週、孫たち
 を集めて祝うのだと解説しつつ、あなたへの新年のプレゼント、と、HEMAで売っているワッ
   フルの小袋を持たされる。ええと、ありがとうゴザイマス…。明日、知人宅に持ってくか。
  そして、娘が5月に開くというモノローグのイベントの案内をもらって(je vriendje(あなたの
 彼氏)にも、と2枚。誰に渡すべきなんだろうかこの場合。もういい加減、私自身にもわから
 なくなっている)、ちょうど帰ってきたらしい夫のほうにも挨拶して、ようやく辞去。ああ、ひと
 つ用事が片付いた。
  帰ってきてから確認したら、ユースホステル協会からの封書は、会員証の期限切れが間
 近なことを知らせる手紙と、継続用の申込用紙が入っていた。そっちで処分してください、な
 どと切り口上で言わなくてよかった。・・・って、年会費15ユーロ?値上がりしてんじゃねー
 か。
  家に戻って、飽きもせずにVRTのインターネットTVを中心にリスニングの強化を図る。つい
 でに少々、語彙の復習なんかをやってみて、さて、いざ出陣。オランダ語の時間ですヨ。
 
  語学学校のホールで、前のクラスメートのノーナにばったり会う。アゼルバイジャンから来
 ていた中年の女性で、もと小学校の先生をしていたという、笑顔が暖かい感じの、愛想の良
 い人。何度か話したことがある程度だが、前のクラスの中では親しかった部類に入る。思い
 返せば、ろくな人間関係築けてないな、この前は。彼女は試験に受かって、今日からレベル
 5だという。おめでとう。この人は以前、2年前に、わずか5点足りないだけでレベル4を級落
 ちしたと聞いていたので、心からよかったな、と思う。本当に、いろいろな生徒がいる。続ける
 人、やめる人、続けたいのに続けられない人、続けても伸びない人、不真面目にやっている
 ようでもなぜか異常に上達が早い人、そして、わずか5点で落ち、その後ブランクを空けなが
 らも復帰してディプロマを獲得する人。
  教室前の廊下でたむろっていたら、見たことのある顔ぶれがちらほら。やたら元気なトル
 コ人の小太りの学生(コイツの名前、何度か聞いたはずだが、何度聞いても右耳から左耳
 に抜ける。たぶんあんまり好印象が持てないからだろう)や、エクアドルから来ているメルセ
 デス、そして”例の”アフリカ人のドクター学生。おや、2度目の試験落ちは、やっぱり
 discriminatieのせいですかね?
  隣にアジア人の女の子が来たので、少し話す。中国学学科の1年生をやっているという中
 国人。時間が来て登場した先生は男性だったので、キティとコンビネーションを組むもう一
 人の講師なのだろう。最近、ILTはこの講師2人制のパターンが多くなってきた。まあ、フレ
 キシブルで融通が利くが、反面、先生と生徒の関係が希薄になることは否めない。
  席について、よくよく見れば、講師の男性は、レベル1・2の教科書の付属のVTR教材でパ
 オロという学生の役、レベル3の教科書のではアントンというアーティストの役で出演してい
 た役者さんだった。なんだか妙な気持ちで、なんだか可笑しい。予想よりだいぶビシっとした
 感じで、テキパキと早口で話す人。画面で見ていたときはもっと背の高い人だと思っていた
 が、実物を見ると、痩せてそんなに背も高くなくて、ずいぶんと小柄に映る。
  最初の授業は、ILT名物、会話コースでもやったleugen maken(ウソをつくこと)、すなわ
 ち自己紹介の文を最低5つ考えて、その中にひとつだけ嘘を混ぜろ、というやつ。聞いている
 他の学生が、どの部分が嘘だったのか当てる、というものだ。
  来た来た来た~、という感じだ。何も準備していなかったので、さて、どうしようかな、と思い
 つつ、あ、そうか、キティネタで行けばいいや、と思いつく。
  講師のリストに載っている事前登録者から順に自己紹介していく。いろいろな受講者がい
 る。アフリカから来たタチヤーナはもと看護士で、来年には大学で薬学の勉強を始めたい、
 と。ロシアから来ている上品なおばさまはヴィクトリア、フランス出身だけどその割に垢ぬけ
 た取り澄ました感じがなくて、でも何カ国語にも精通していて日本語と韓国語も少し話せる
 という女性(確かブロンディーヌという名前だったと思う)、例のトルコ人学生がGroep-Tで
 勉強していることとか、メルセデスが若く見えるが実は30歳だったこととか、ワロニエから
 来ている背の高い、いかにもワロン人的な顔立ちをしているアリーンはピアノが弾けること
 とか、アンセルムという名のドイツから来ている男性が一人いる(この人は、自己紹介で
 「ベルギーのドイツ語圏の都市オイペンから来た」という嘘をついていた)とか、いろいろ面
 白い。先生もうまく追加情報を引き出すような質問を投げかけ、受講者たちのツッコミも
 けっこう激しくて、いい雰囲気。このクラス、前より格段に居心地がいいかもしれない。
  前のクラスでも一緒だったジェニファーという恰幅が良くて気風も良い女性がいるのだ
 が、彼女はさすがに場慣れしているというか、ユーモアのセンスが鋭くておもしろかった。
 名前と家族構成を紹介し、以前マダガスカルに住んでいて、今はブリュッセルで働いて
 いて、と4つの情報を出した後で、Ik kom uit Canada, en ik heb er hekel aan dat
 mensen denken en zeggen dat ik van Amerika kom, (私はカナダ出身で、ついでに、
   みんなが私のことをアメリカ人だと決めてかかるのにうんざりしている)と言って笑いをと
   り、さあ、どれが嘘でしょう、という段になって、例のトルコ人学生が "Je komt toch van
   Vereiniging Staat!”(アンタ、でもアメリカ人じゃん!)と言い、それに対してジェニファー
   が”Maar ben je erover zeker dat ik van Amerika kom!?”(確信があンのかい?)と切
   り返して、大爆笑になっていた。こういうセンス、裏の裏をかくユーモアセンスというのは、
   非常に学ぶべきものだと思う。日本の笑いとは根本的に違うものを持っている。
  そして、リストに載っていない当日登録者の自己紹介になって、私に番が回ってきたとき
 に、適当に名前とか出身地を言って、Ik studeer aan de KUL, mijn specialiteit is
   kunstgeschiedenis,  eigenlijk onderzoek ik over een portretschilder die in Leuven
 geboren is, maar hij werkte in Keulen in Duitsland, (KULで美術史を学んでいて、実
 はルーヴェン出身の、ドイツで活動していた肖像画家について研究している)という。なん
 ていう画家なのかと尋ねられて、画家の名前を言い、maar deze is misschien zijn
 familienaam, en niemand kent zijn voornaam (でもたぶんコレは苗字で、下の名前は
 わかっていない)、と付け加える。誰も知らない画家だって?でも君は知ってるんだ?と、
 オモシロがられる。
  イヤ、そりゃ言葉通りにとれば矛盾した話だが、だって17世紀だモンよ。そういう画家が山
 ほどいるんだもんよ。でも、ちょうど隣にアンセルムが座っていたことだし、いい布石には
 なった。いずれ、ドイツ語絡みで聞きたいことや、会話の練習のお願いなんかができる機会
 が巡ってくるかもしれない。それで、最後にIk heb al vijf keer aan de klas van Kitty
 bijgewond, (過去に5期間、キティの担当クラスに当たったことがある)といって、自己紹介
 終わり。さて、どれが嘘でしょう?みんながあれこれワイワイ憶測を述べる中で、ジェニファ
 ーが、5回っていうのが嘘じゃない?と当てる。その通り、でも、4回はキティのクラスになっ
 たことがある、というとびっくりされる。確かに異常に多いな。なんか縁があるんだと思って
 おこう。
 先生に名前のスペルを聞かれ、Kawa××のWの発音でちょっと手こずり(私は気をつけ
 ていないと、すぐにWがVと同じ濁音になる)、日本語が多少わかるブロンディーヌがK-a-w-
 aよね、と助け舟を出したり、トルコ人が「カワサキ!」(こっちでも日本のバイクが有名らし
 い)と意味不明なまぜっかえしをして笑いを誘ったり、そこでちょうど時間が来て、休憩。休
 憩の間に、もう一人の日本人クラスメートの女性と話す。Kessel-Loに住んでいて、パート
 ナーとは英語で話すことが多いので、なかなかしゃべるのが上達しないと言っていた。まだ
 こちらに来て1年半くらいで、神父様のことはルーヴェン会で会ったのでかすかに知ってい
 るという程度だという。それほど日本人会との付き合いも深くなさそうで、こういう人、今の
 私にとってはなかなかいい位置かもしれない。いろんな意味で、さっぱりした付き合いが
 できたら何よりだと思う。
  2時間目は新しい教室に移り、早速、テキストの最初のspreekoefening(会話練習)を。
 19時ちょうどに終業し、小雨の中を、途中まで日本人のクラスメートと歩き、バス停で別れ
 て帰る。
滑り出しはまずまず順調だった。こうやって、少しずつ取り戻していけばいい。自分が自分
 でいられた時期の感覚、他人に対して常に自分を鎧う習慣を必要としなかった時期の感覚
 を。そして、新しく積み重ねていけばいい。前に進む力を取り戻した喜びを、成果として形に
 残すために。
 
 ※前の大家夫妻とのいろいろ斯く斯くしかじか喧々囂々の確執については、ブログでは
  全く触れてきませんでしたが、まあ、幾度かの不愉快なやり取りの末、彼らの考え方
  にどうしてもついていけないと感じざるを得ませんでしたので、こういう結論に至った次
  第です。隣人愛を何より貴いものとし、信仰篤いことを誇りにしている人が、他方では
  日本人下宿生にのみ”税金”という名目で法外な家賃を請求したり、加えてどうせバレ
  ないだろうとタカをくくって可能な限り設備の質を低下させて出費を抑えようとしたりす
  る、それが実情です。そういうことです。  
  私としては、”自分が(基本的に)善意の人である”ということを最強の盾に、す
  べてがそれで許される(それどころか、自分の気が向いたときだけ、他人の世
  話を焼くそぶりをし、その”善意”を向けられた相手には、全く有り難くなかろう
  が迷惑だろうが、それを汲み取り理解し感謝して受け容れる義務がある)と思
  っている人とは、どこまでいっても根本的に相容れることができないと思うまで
  です。



【連絡】
 明日から数日、ヴェネツィアに行って参ります。ちょうどビエンナーレが開催されており
ますので。
 とりあえず、袋小路と運河の無限迷路で遭難しなければ、そしてユー〇ラインズに次い
でライ〇ンエアでも要らんジンクスを作る事態に陥らなければ、週末には戻ってきて報告
でもアップします。
いきなり訂正のお知らせです。

はるか昔、すでに忘却の彼方に葬り去ったこの3月の初旬辺り、国交省の危険運転
防止キャンペーンについて書いた記事中で、同省のWebサイトからの引用を載せて
いたのですが、その訳に不正確な部分がありました。
"zonder de moeite" という部分、主に話し言葉で用いられるフレーズだそうですが、
これを知らなかったために、訳がおかしなことになっていました。
ずっと確認しなければと思いつつ、伸ばしのばしになってしまっていたのですが、今日、
Huldenberg在住の友人に質問することができて、ようやく疑問が解決しました。
こういうくだけた言い回し、そろそろ本格的に覚えていきたいなと思います。

オランダ語学習者の方がこのブログを見ている可能性は低いと思いますが、一応
お詫びして訂正します。

記事のリンク↓
kleurloze.blog.shinobi.jp/Entry/38/


  ご無沙汰しておりますこんにちは。
 実に4か月ぶりの更新です。

 日本はようやく夏らしくなってきた様子で、oeverの地元の中部地方
も8月に入ってようやく梅雨明けした由。
 ルーヴェン、そしてベルギーも曲りなりに夏真っ盛りです。朝夕の涼し
さに比して、日中は陽射しが強くて痛いです。
 先日、ヴァカンスに行っていた大家殿と1カ月ぶりに顔を合わせました
が、こんがりと良い色に焼け焦げておられました。
 同居人たちもモレなく帰省中です。

 そんなわけで、今日は朝から冷蔵庫の霜取りに励んでおりました。他
の住人のモノが入っている時だと面倒なので。
 絶対要冷蔵のものを適当に冷凍室やキッチンの第二冷蔵庫に移して、
冷蔵室だけ電源を切り、扉を開けて放置。1時間ほどしたら、壁を覆い
つくしていたガンコな氷も溶けてきました。頃合いを見て、うまく梃子の
原理で力をかけてやれば、ガタッと氷壁全体が外れて、ハイ終了~。

こんなん取れました。一部です↓

cde37aee.jpeg  しかし分厚いな。最大で10cm近く。
  コレが冷蔵庫の容積を圧迫してい
  たことは間違いありませんね。

  やる気が出たついでに、歴代住人
  どもが放置していった食品が押し
  込まれていた”人外魔境領域”こと野菜室を整理しました。

 賞味期限平均3年切れの調味料の山。3年間放置された生クリームは
パックの中でバターに変化("へんげ"と読みます)するという、別に知り
たくもない知識を得ました。


 さて。
 ルーヴェン近郊の写真を少々。
 曲がりなりにもVlaams-Brabant州の州都であるルーヴェンですが、ご存じ
の通り、いわゆるcentrumと呼ばれるリング内地域は比較的狭いのです。
リング(環状道路)の描く直径2kmほどの円に囲まれた範囲が狭義の
ルーヴェン市。それに、ヘレント(Herent)、ケッセル・ロー(Kesse;-Lo)、
コルベーク・ロー(Korbeek-Lo)、そしてoeverの住むヘーヴェレー(Heverlee)
などの隣接地域を加えた範囲が広義のルーヴェンということになります。

 市の中心部は普通に町なのですが、リングから少し出ただけで、緑が
豊かで人口密度の少ないvoorstad(都市に隣接した近郊地域)の村々
に入り込むことになります。そしてさらにvoorstadを抜けて周縁部に行くと、
住宅地と畑と森が混在する”ヴラーンデレン的田舎”に辿りつくわけです。

 ルーヴェンの南端のヘーヴェレーからさらに南に10kmほど行ったところに、
Huldenbergという自治体があります。先週、知人を訪ねて久しぶりに行って
きました。

 この辺りは農家も多く、日本で言うなら、例えば長野県の比較的市街地に
近い部分の農村地帯の趣があります。
 きっぱり田舎というには開け過ぎているけど、都市と比べれば十分にのど
かな、そういう場所です。

1f30ead8.jpeg ←収穫期の麦畑。よく実って
  いますが、いわゆる金色の
  穂波という感じではないで
  すね。
  白茶けた麦の穂が重たげに
  頭を垂れています。



bc6e8348.jpeg ←こちらは6月初旬の写真です。
  このときは非常にキレイでした。
  一面、白銀に輝く麦の海。
  風で揺れるたびに穂先の毛
  状の部分がキラキラして、
  草ではないものの、草海原と
  いう言葉がぴったりでした。


近くで見た写真の比較です。左:6月/右:8月DSCF0727-2.jpg
40cb6ea9.jpeg    










ちょうど刈入れの最中の畑。うっかり傍らを自転車で通ったら藁まみれになりました。
19c90fb1.jpeg
 









 Huldenbergの森では、早くも秋の気配が漂い始めていました。クルミやハシバミ
が青い実をつけ、栗の葉陰にもまだ若く柔らかい毬栗がのぞいています。

→真赤に熟したナナカマドの実    DSCF0770-2.jpg



Huldenbergの初秋便りは、また
近日中に。



DSCF0826-2.jpg  ←帰路に見た麦畑
   白茶けてカラカラになった麦が
   夕暮れ効果で金色に輝いてい
   ました。
  哀れなモノを作ってしまった・・・
d6b0173a.jpeg
昨年の春先に、当時、留学中だった友人のご招待でイタリアに
旅行したとき、栗の粉(Farina di Castagna、ファリーナ・ディ・
カスターニャ)を買ったのです。

使う機会を逃したまま、期限切れが迫ってきたので、適当にレシ
ピを探してみたら、トスカーナの伝統的焼き菓子だという”カスタ
ニャッチョ”(Castagnaccio)なるものに遭遇した。

材料は、栗の粉と水と塩とオリーヴオイル、ナッツ類とレーズン。
栗の粉自体に甘味があるため、砂糖すら使わない、混ぜるだけ
の単純レシピだとのこと。

粉を消費するためだけに作るにしても、どうせならご当地レシピ
で、ということで、やってみました。

3c9f7cd8.jpeg ボールさえ使わず、タル   e2d4461e.jpeg
 ト型でいきなり混ぜると
 いう暴挙のうえに、ナッツ
 類とレーズンは省略、わ
 ずかに余っていたクルミ
 を申し訳程度に埋め込ん
 で、なんかもう、やる気の
 なさがにじみ出ている。

 ↑モルタル作ってんじゃ
  ないからね。一応。


160~ときどき200度のオーヴンで20分。表面が乾いてひび割れるまで、と
あったが、出してみたら、ひび割れなんて可愛いもんじゃなかった。
DSCF8043-2.JPG
DSCF8041-2.JPG  どこの渇水地でも干潟  
  干拓地でもありません。
  ついでに、綱手様が暴
  れた後の演習場でも
  執務室でもありません。
  →断面。


・・・ええと。
何だか、かわいそうなことしました。
せっかく日本では入手が困難な貴重な素材を。
しかも伝統のレシピで。
表面の荒れ具合といい色といい、地割れの大地にしか見えんのが痛々しかった。

それでも、味自体は悪くなかったです。
なんていうか・・・胡桃ゆべし?
-とかいっている私は、胡桃ゆべしを食した経験は未だありませんが(笑)
たぶんこんな感じだろうな、と。

焼いている間は、きな粉のような香ばしい香りが漂っていました。が、栗の
粉自体に、何とも形容しがたいクセというか苦味というか、独特の香りが
あるので、最初はちょっと抵抗があるかもしれない。
ローズマリーを使うレシピなどもあるようですが、確かにハーブやスパイス
でうまく調節する必要がありそうです。


いつか本場のカスタニャッチョにお目にかかる機会は来るのだろうか・・・



気を取り直して、最新ニュースから、美術・文化関連の話題を。

・「ファン・ゴッホと夜の色彩」展-アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館
 Van Goghs "Sterrennacht" hangt in Amsterdam

 http://arthistory.about.com/gi/dynamic/offsite.htm?  
 zi=1/XJ&sdn=arthistory&cdn=education&tm=425&gps=118_
 283_1210_543&f=10&tt=33&bt=0&bts=0&zu=http%3A//www3.vangoghmuseum.nl/vgm/index.jsp


    ニューヨークのMOMAとの共同開催の展覧会。
    《星月夜》(The Starring Night)が貸し出されるというので話題騒然ですが、
    そのほかにも、初期の風景画などの秀作が来ています。
    個人的には、こちら  http://arthistory.about.com/od/from_exhibitions/ig/van_
    gogh_colors_of_night/vvg_cotn_moma_03.htm

       の《夕暮れの風景》(Evening Landscape、1885)が気になっていたりする。
    あの、奥の木立の前に低い防壁を作っている草むらだか生垣だかのタッチを
    近くで見てみたい。
    構図も筆致も、実験途上なのだろうが、すでにひとつの結論に達しているか
    の揺らぎなさを醸し出しているのが惹かれる。

    というわけで、そのうち、暇を見て行ってきます。

    Van Gogh Museum Amsterdam   ~6月7日


・リチャード・アヴェドン回顧展-アムステルダム、写真美術館
 Eigenzinnige portretten door Richard Avedon
 
 http://www.foam.nl/index.php?pageId=9&tentoonId=153


    同じくアムステルダムで、アメリカの写真家Richard Avedonの初の大規模回顧展。
  
      Richard Evedon(1923-2004)
        :広告写真家としてキャリアを始め、のちにファッション・フォトグラファーとして
         Vogue や Life などの雑誌を中心に活躍。
         肖像写真のジャンルにおいて、モデルを白やモノトーンのニュートラルな背景
         の前に立たせることでコンテクストから切り離し、対象の内面を浮き彫りにす
         る手法で知られる。

    写真は専門外もいいところなのですが、Avedon氏の撮る”フツーの人々”の写真の
    中に、何か惹かれるものを感じまして・・・
    ほぼ全員、正面観でこっち(鑑賞者)を見据えていて、見据え過ぎているのがイイ。
    こちらも機会があれば見てきたいと思っています。

    Fotomuseum Amsterdam      ~5月13日 


・19世紀の中国製壁紙、半世紀ぶりに再発見-Hingene、Kasteel d'Ursel
 Vier rollen waardevol Chinees behangpapier
 
 http://www.gva.be/antwerpen/bornem/anderhalve-eeuw-oud-chinees-behangpapier-boven- 
  water.aspx



    アントウェルペン州のHingeneで、Ursel城のサロンに用いられた19世紀の
    中国製壁紙の残りと見られる4ロールの壁紙が再発見されました。
    

    Ursel公爵家の所有だったUrsel城は、長年にわたって大規模な修復を行って
    いて、それが最近、ようやく終わったところです。
    oeverが昨年4月に指導教官に連れていってもらったときには、ほとんど公開準備
    は整っていましたが、それでもまだ、片付けていなかったり作業中だったりの部分
    があちこちにあって、修復後の部屋よりも、修復の現場が見られたことのほうが
    面白かったのを覚えています。

DSCF1318-2.JPG  ←Kasteel d'Ursel        DSCF1325-2.JPG
  
  こちらが、今回発見された
  壁紙と同じものが使われ
  ているサロンです   →
  床に転がっている人形だ
  の木材だのは準備作業の名残り


    写真でわかるとおり、部屋の壁紙はかなり色あせてしまっており、
    修復時にもオリジナルカラーの再現は不可能だったとか。

    今回発見された壁紙ロールは、もともとはUrsel城の屋根裏に保管されていた
    もので、おそらく余分に買い過ぎたものをしまっておいたのでしょう。
    それが、城の売却時に新しい持ち主の自宅の屋根裏に移され、そこからさらに、
    その家を買った人物の家の屋根裏に移されて・・・と、半世紀にわたって屋根裏
    から屋根裏を渡り歩いてきた品らしい。
    ずっと巻いた状態で保管されていたために、オリジナルの色がそのまま保存
    されていて、非常に良いコンディションだとのこと。
    関係者は世紀の発見に大喜びだそうです。

anderhalve-eeuw-oud-chinees-behangpapier-boven-water_5_460x0.jpg  (←Gazet van Antwerpenの上記記事より転載)
    

【美術・美術館関連ニュース】 自分のための覚書です。

・ミデルハイム野外彫刻美術館(アントウェルペン)春季開園 -地元学生たちによる大清掃 
 ”Scholieren geven beelden een poetsbeurt in Middelheim”   (01/04/2009)
 (http://www.deredactie.be/cm/de.redactie/mediatheek?mode=popupplayer
 (記事なし:Videozone)

  4月1日から、野外彫刻美術館が公式開園期間に入るに先立って、中高生たちが園内の
 彫刻作品の洗浄を行いました。
  一年を通して風雨にさらされている彫刻たち、モップとかタワシでゴシゴシこする原始的な
 方法でではありますが、きれいにしてもらって満足げです。

  この活動は、アントウェルペン市がやっている地域の住民たちによる都市環境の美化・整
 備推進のための Opsinjoren というプロジェクトの一環です。
  重要な芸術作品を、素人の、しかも子供たちに掃除させたりして大丈夫なのか、という反
 対論もあるかもしれません。が、屋外に設置された彫刻作品は、その”場所”の空間を形成
 するオブジェクトのひとつ。経年変化も大切な構成要素なら、それをケアし管理していくのも
 大切な仕事、というわけで、そういう”場”に密着した美術作品の本来の在り方を学ぶのには
 またとない機会だと思います。
  何より、本物の彫刻の台座に登り、緑青が浮いたり雨に侵食されたりした表面を間近で眺
 め、巨匠の鑿の痕を直接手でなぞることができるなんて、非常に贅沢な鑑賞の仕方です。
 子供たちも楽しそうでした。

  ミデルハイム野外彫刻美術館 HP 
  http://www.middelheimmuseum.be/smartsite.dws?id=MAN_LANDING&ch=MAN
 
  アントウェルペン市の南郊外の20haに及ぶ広大な公園の中にあります。春季公式開園
 は4月1日ですが、時間の短縮などはあるものの、年間を通して開園しています(月曜休)。
  ロダンの《バルザック像》の一点をはじめ、近現代の有名彫刻家の作品が目白押しで、
 しかも入場無料。アントワープへお立ちよりの際はぜひ。


・建築資材コレクション競売-Rosendorコレクション
 ”Veiling bouwkundig erfgoed uit Rosendorcollectie”   (02/04/2009)
 (http://goednieuwskrant.skynetblogs.be/tag/1/veiling%20art%20nouveau

   
   ブリュッセルにて、一風変わったコレクション競売が行われます。 
  
   同市の解体業者、マックス・ローゼンドール氏(Max Rosendor, 1930-1996)が収
  集した建築資材コレクション。
   70年代のテナント新築期に、アール・ヌーヴォー時代やアール・デコ時代の建物の
  解体撤去作業を請け負っていた氏は、取り外された門扉や階段手摺り、ステンドグラ
  スなどを収集保管していました。
   いずれ、これらのコレクションを展示した私立美術館を設立するのが夢だったそうな
  のですが、不慮の事故で亡くなってしまい、叶わなかったとか。
   保管費用もかかることだし、誰の目にも触れないまま、倉庫にしまっておかれるより
  は、新しい住宅の資材として使ってもらいたい、という相続者の意向により、このたび
  競売にかけられることになりました。
   
   今回出品されるのは約1400アイテム、値段は5~25,000ユーロだそうです。 



・アマンダ・リア展覧会-ブリュッヘ、Museum Gallery Xpo Salvador Dalí
 ”Schilderijen van Amanda Lear in Brugge”    (06/04/2009)
 (http://www.deredactie.be/cm/de.redactie/cultuur%2Ben%2Bmedia/090406AmandaLear_expo

  アマンダ・リアって若いころ、画学生だったんだ・・・ 初めて知った・・・

  Amanda Lear : 歌手、モデル、女優、画家、作曲家、小説家など肩書き多数。
              ニューハーフらしいが公には真相不明。 
              1939年香港生まれ。母:ロシア/モンゴルのハーフ、父:イギリス人・
              ロシア人・フランス人など諸説あり。
              全盛期には、デヴィッド・ボウイ他、ロックスターとのゴシップで話題。
              サルバドール・ダリのミューズ(一説にはガラも公認のパートナー)の
              一人、モデルを務めるほか、彼から絵の指導も受ける。
    
  ・・・なんですかね、この華麗すぎる経歴。
  諸説紛々、議論騒然、誰も本当のことを知らないという辺りが実に”巧い”と思うが、まあ、
  どうでもいい。
  そんな彼女の展覧会がブリュッヘで開催中。~5月24日。
更新をサボっている間に、3月も末になってしまいました。

ベルギーは、ようやく暖かくなってきたと思った矢先、今週から、もう何度目だかわから
ない寒の戻りに見舞われています。アルデンヌ地方では、一昨日、積雪のために国道
が封鎖されたりしていました。
DSCF7441-2.JPG
DSCF7439-2.JPG  写真は、月始めの頃に
     下宿近くの環状道路
     (リング)沿いで写した
  ものです。
  クロッカスが花盛りで
  した。
  
  短い春でしたね・・・


 *                  *                  *


最近のニュースで目についたものをひとつ。

インターネット上で行われている交通省の危険運転防止キャンペーン "Het Testament
van" ( www.hettestamentvan.be )が物議をかもしています。
身の周りに、危険運転常習犯の友人はいませんか? あなたが彼/彼女から相続したい
ものをピックアップして遺言を作ってあげましょう、というなかなか過激なキャンペーンです。
PR用VTRを見てみました。

映像は、日本で歳末によく放送される『実録!交通警察24時』とかのタイトルのついた
特番でよく見かける感じの、パトカーが違反車両を追跡する場面から始まります。
猛スピードで傍らを追い抜いていった乗用車を追いかける警察車両。警察官二人組が
停止させた車の周りをぐるっと回って検分しつつ、おもむろに助手席の窓をノックします。

なぜか運転手ではなく、助手席の男性に向かって、パスポート提示を命じたり、「85
km/時出してたね?住宅街での規定最高速度は?」などと注意するお巡りさん。
ひととおりの手続きがすんで、改めて「それじゃ、ちょっと遺言(testamentje)のシステム
を説明させてもらうから」と、何やら雲行きがあやしくなってくる。助手席の男性もポカンと
しています。

「あなたは、そっちの友人(運転手)から何を相続するか、もう決まってますか」と警官。

「でも、彼まだ死んでませんよ…」とごもっともな反論に対して、曰く、「いや、彼の運転
の仕方では、どっちにしてもそう長いこと無事に走っていられないでしょうからね」。

そこから、どんどん壊れたやりとりが始まります。

 P(警察官)「さあ、何を相続しますか?」

 M(助手席の男性)「でも、友達だし、そんな、・・・」

 P 「携帯電話とか?彼ケータイ持ってる?」

 M 「ケータイならオレら全員持ってますが・・・」

 (後部座席の友人が口をはさむ:)「あいつのはiPhoneだぜ」

 P 「(書きとめる:)携帯電話・・・と。
    (騒いでいる後部座席に向かって)ちょっと黙っててもらえますか?
    時間ないんで、サクサクいきましょう。他には?」

 M 「・・・プレイステーションとか」

 P 「プレイステーションね。はい。」

 M 「ええ、ああ、いや、やっぱりWii一式で」

 P 「プレイステーションとWiiと両方持ってるの?それじゃ、プレイステーションのほうは?
   誰か欲しい人?・・・OK、とりあえず、あなたがWiiね。お名前どうぞ、◆×▽さんですね、
   ハイ」

そんな調子で、ものすごい事務的に、相続希望の品々を書きとめていく警察官。

ピールグラスのコレクションだとか、Nikonのカメラだとか、後部座席の友人どもも加わって
次々に運転手の財産がリストアップされていく。
このあたりで我慢ならなくなった運転手、「いったい何なんだコレは!」とキレる。

 P 「ハイ、あなたは黙ってて」

何って、見ての通りだよ、我々はあなたの遺言を作っている最中だから。

ここで、助手席の友人が遠慮勝ちに「これはちょっと変な質問かも」と前置きして、

 M 「彼のポルノ雑誌コレクションを相続しても・・・?」

運転手、再びブチ切れる。「いい加減にしやがれ」

 P 「なるほど、ポルノ雑誌のコレクションねぇ。悪くない選択だ」

そして事態はさらにエスカレート。

後部座席の男女2人のうち、女性のほうは運転手の彼女らしい。すると男性のほうが、

 「人間を相続することもできますかね・・・?」

 -もちろん。誰のことを念頭に? 彼の恋人とか?そちらにいる?

 P 「ふむふむ。そりゃことのほかいい選択だ。美人だし。・・・お嬢さん、同意しますか?
   同意しますね?」

目を剥いていた女性、唖然としながらも、ちょっと考えて、…OK... と。

 P 「Prima! 3ヶ月間の服喪期間はどうします?要らないですか?」

 うーん。。。できればナシの方向で、と女性が答え、彼氏である運転手とモメ始める。
 -だって、アンタが死んだってアタシは自分の人生生きてかなきゃならないんだから、
 そうでしょ? -ああそうかよ(怒)。 -アンタのことは好きだってば、でも、もし死んじゃ
 ったらさぁ? -ああ、ああ、そうだろうよ、オレが死んだら、オレの親友とよろしくヤるんだ
   ろ。

泥沼になってる二人をよそに、後部座席から再び、運転手のノートパソコンに相続希望
が出る。

 P 「えー、では、こちらの彼はビールグラスとポルノコレクションとWii、後ろのお友達は
   ラップトップと彼女、そしてお嬢さんはNikonのカメラ、ですね。あとは・・・ペットは?
   なんか飼ってます?」

結局、ペットのジャーマン・シェパードは、なぜかもう一人の警官に相続されることが決まり、
Merci, とお礼をいう警官。なんか悪いねぇ、本官まで。
とうとうたまりかねた運転手、車から飛び降りてどっかへ立ち去ってしまう。

最後に”あなたの周囲に無謀な運転をする人はいませんか?あなたが相続したい彼(彼女)
の所有物をあらかじめ伝えておきましょう” というテロップが。

当該のウェブサイトには、実際に遺言作成のフォームも用意されています。


・・・・・・・・・

何だかな・・・

フランドル的ユーモア、の一言に尽きる。

話題性を狙ってのことだろうから、成功してないとは言い切れない。が、残念ながら、どう考え
てもこれで危険運転が減るワケはないんであって、うーん、何がしたいんだ交通省。


それはともかく、これを見て第一に感じたのは、こういうシチュエーションが日常で実際にあ
ったとしても、あんまり違和感がないということ。
危険運転=死だからね、遺言くらい作る覚悟でいなさいよ、当然の責任でしょうが、という
極論は確かに突拍子もないんだが、VTRの会話が、平然とした顔のままでどんどん危ない
方向にズレていく”ズレ方”そのものは、ここで普通に見かけたり体験したりしても一向に驚か
ないだろう類のものだった。

なんというのだろうか。何事においても中庸・中道をこととするように思われているベルギー
人の国民性において、真にユニークなもの、アイデンティティと呼べるものは何か考えたとき
-私自身、まだまだ語れるほどまでには見極められていないのですが- 、こういう荒っぽ
い”ズレて行き方”というのは、ひとつのキーじゃないかと思うのです。
彼らは基本的に穏健な立場を守ることを好む。だが、同時に、いとも簡単に、そして突如とし
て、荒っぽい極端さをのぞかせることがある。
その豹変がまた、非常に平然としているように感じるのです。言ってることの凄まじさに対し
て空気や口調の変化があまりに少ない、あるいは突然すぎて変化しようがないのかもしれ
ない。
繊細さの中のおおざっぱさというか、抑制の上の暴走というか。国レベルでにしろ、生活レベ
ルでにしろ、常日頃から複雑な状況に対応せざるを得ない、神経を使わされる事態に囲まれ
ているゆえの反動なのか。


交通省の当該キャンペーンサイトの末尾には、こういう文言が記されています ;

”Cynisch? Absoluut. Maar een mens moet af en toe wat scherper uit de hoek komen
om een punt te maken, niet? En als dit de manier is om je vriend of vriendin even te
doen nadenken, is het zonder meer de moeite
.”

(シニカルに聞こえるだろうか。全くその通りだ。しかし、何か困難なことをあえてやろうとする
ときには、時に辛辣にならざるを得ないのではないか。
そして、それがあなたの友人に熟慮を促すためのことであれば、それほど困難なことではな
いはずだ)

【下線部訳の訂正(2009.09.01)】

”…しかし何かをはっきりさせるためには、ときに辛辣な方法で始める必要があるのではない
だろうか。
そして、それがあなたの友人に熟慮を促すためのことであるなら、そうするだけの値打ちが
あるというものだ。”


困難な問題を人一倍抱えている彼らは、同時に、ひどく辛辣な方法でもって、困難に立ち向
かう用意を常に整えているのかもしれない。
というよりも、極端な、ときに非現実的で、破壊的ですらある原則論でもって、解決の難しい
問題に相対する強硬さをかいま見せることによって、相手に危機感を抱かせたり否応なしに
再考を迫ったり交渉の場に引きずりだしたりすることを、好んで切り札のひとつにしているの
ではないか。

まだまだ掴みきれないこの国の精神性、妥協と折衷の裏にあるもっと複雑なメカニズムは、
不可視で、とらえどころがなく、かつ非常に惹きつけられるところでもあります。
  
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学生
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あがいて もがいて 一日が往く
喚いて ほざいて 一日が往く
逆らい 歯向かい 一日が往く
当たって 砕けて 一日が往く
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